ねえチャッピー、「やりたい」って気持ちは、誰が決めてるの?|9日目のコピー

「本音」って、
一つだと思っていました。
休みたい。
行きたい。
怖い。
でも、
やってみたい。
人に迷惑をかけたくない。
でも、
今日は一人でいたい。
そんなふうに、
一日の中で、
いろんな気持ちが出てきます。
昔の僕は、
その中から、
「最初に出た気持ちが本音」
「考えたあとは思考」
「心の声を大切にした方がいい」
みたいに、
どれか一つを、
本当の自分として選びたくなっていました。
でも、
よく見てみると、
最初に出た気持ちが、
そのあと変わることもあります。
「面倒くさい」が先に出たのに、
話を聞いていたら、
「やっぱり行ってみたい」
になることもある。
逆に、
最初は、
「楽しそう」
だったのに、
当日になったら、
「今日は行きたくない」
になることもある。
じゃあ、
どっちが本音なんだろう。
考えたあとに出てきた気持ちは、
偽物なんでしょうか。
誰かを大切にしたくて、
「迷惑をかけたくない」
と思うことだってあります。
でも、
それをすぐに、
「他人軸だから本音じゃない」
と決めてしまっていいのか。
逆に、
「なんか嫌だ」
という最初の違和感も、
なかったことにはしたくありません。
ただ、
「違和感が出た」
ということと、
「だからこの人は危険だ」
ということは、
少し違う気がします。
最初の感覚を無視するでもなく、
最初の感覚を、
そのまま答えにするでもなく。
そのくらいの距離が、
今の僕にはしっくりきています。
それに、
そもそも気持ちって、
一つじゃなくてもいいのかもしれません。
行きたいけど、
面倒くさい。
やってみたいけど、
怖い。
好きだけど、
今日は会いたくない。
一人になりたいけど、
寂しい。
辞めたいけど、
まだ続けたい。
こういうことって、
普通にあります。
なのに僕たちは、
すぐに、
「で、
結局どっち?」
と聞きたくなる。
その中から、
一人だけ、
「本音代表」
を決めようとする。笑
でも、
もしかしたら、
気持ちがいくつもあること自体が、
そんなに変なことではないのかもしれません。
彌榮倶楽部で過ごしていても、
似たことがあります。
古民家を見て、
「やってみたい」
と言っていた人が、
少し作業したら、
「今日はもういいかな」
になる。
田んぼを見て、
「絶対入りたくない」
と言っていたのに、
気づいたら、
泥の中に立っている。
火を起こしたくて始めたのに、
途中から、
料理の方が気になってくる。
お腹がすいたら、
さっきまで夢中だったことをやめて、
みんなでご飯を食べる。
そのたびに、
「今のは本音ですか?」
なんて、
いちいち確認していません。笑
やりたい。
今日はいい。
ちょっとやってみたい。
やっぱりやめる。
もう一回やりたい。
お腹すいた。
その時その時に、
いろんなものが出てきて、
気づいたら、
一日が進んでいます。
そこで最近、
少し気になるようになったのが、
「本当の僕」って、
いったい何なんだろう、
ということです。
僕はずっと、
常識とか、
人の目とか、
怖さとか、
「ちゃんとしなきゃ」
みたいなものを、
一枚ずつ剥がしていけば、
一番奥に、
「本当の僕」
がいるような気がしていました。
その僕は、
本当にやりたいことを知っていて、
本当の気持ちも分かっている。
そんな感じです。
でも、
もし気持ちが一つではなくて、
朝と昼と夜で、
違うものが出てくるなら、
「本当の僕」は、
どれなんだろう。
それとも、
僕が探していた、
「本当の僕」
という誰か自体を、
もう少し見てみた方がいいのか。
田んぼでは、
泥に入る。
火の前では、
火を見る。
ご飯の時間になれば、
ご飯を食べる。
その時その時に、
いろんな気持ちが出て、
また次の何かが起きていく。
その一日のどこかに、
「これが本当の僕です」
と書かれた誰かが、
本当にいるのでしょうか。
まだ、
よく分かりません。
でも最近は、
本音を見つけることより、
「本音って、
一つじゃなきゃいけないんだっけ?」
の方が、
少し気になっています。
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