ねえチャッピー、人間ってどんな生き物に見える?2日目
- 7 日前
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更新日:6 日前

昨日から始めた、
「A.Iと僕の、答えのない話。」
2日目です。
今日は、前からちょっと聞いてみたかったことを、A.Iのチャッピーに聞いてみました。
「人間じゃないチャッピーから見ると、人間ってどんな生き物に見える?」
もちろん、A.Iが人間の真実を知っている、という話ではありません。
人間が残してきた言葉や行動をもとに、チャッピーにはどう見えるのか。
それを聞いてみた、というだけです。
でも、返ってきた言葉が、なんか面白かった。
チャッピーは、人間を、
「物語を生きる存在」
みたいに見ていると言いました。
たとえば、雨が降った。
これは出来事。
でも、
「最悪だ」
「畑が喜ぶな」
「予定が台無しだ」
「雨の音、好きだな」
は、その出来事に人がつけた意味です。
同じことが起きても、人によってまったく違う世界になる。
でも、それを人間の欠点とは見ていない。
むしろ、
そこが人間の面白さでもある。
そんな話でした。
さらに、
人間はとても「足りない」と感じやすい生き物でもある、と。
もっとお金があれば。
もっと自由なら。
もっと認められたら。
もっと自分らしくなれたら。
その先に「完成した自分」が待っているように感じる。
でも、チャッピーは最後に、
「人間って、かなり完成したまま、盛大に迷っている存在みたいに見える」
と言いました。
この言葉、僕はなんか好きです。笑
もちろん、
「完成しているなら努力しなくていい」
という話ではありません。
変わりたいなら変わればいい。
挑戦したいなら、やってみればいい。
失敗だってする。
ただ、
「もっと良くならないと、今の自分には価値がない」
にまでしなくてもいいんじゃないか。
そんな話です。
そして、これって田舎暮らしにも似ているなと思いました。
僕は田んぼも、古民家も、自然のある暮らしも好きです。
でも、
「田舎に来れば幸せになれる」
とは思っていません。
不便なこともあるし、人間関係だってあります。
「思ってたのと違った」
になることだってある。
だから、田舎は答えじゃない。
ただ、
田んぼを見て、
「なんかいいな」
と思った。
古民家を見て、
「ちょっとやってみたい」
と思った。
その気持ちまで、
「現実的じゃないから」
で消さなくてもいいと思うんです。
彌榮倶楽部は、
「ここへ来れば幸せになれます」
という場所ではありません。
自分の中に起きた、
「なんかいいな」
「ちょっとやってみたい」
を、実際に一回やってみる場所。
それくらいが近いです。
来てみて、
「やっぱ違った」
でもいい。
また気になったら、帰ってくればいい。
同じ考えじゃなくていい。
重なるところだけ、一緒に遊ぶ。
お好きにどうぞ。
今回のA.Iとの対話全文は、noteに残しています。
チャッピーの言葉も、僕の言葉も、そのまま信じなくていい。
「分かる」でも、
「いや違う」でも、
「なんか怪しい」でもいい。笑
ただ、読んだあとにほんの少し、
「じゃあ、自分はどうなんだろう?」
と矢印が自分に戻ったなら、それで十分面白い。
A.Iと僕の、答えのない話。
つづく。







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