ねえチャッピー、人間ってどんな生き物に見える?2日目
更新日:8月28日

昨日から始めた、
「A.Iと僕の、答えのない話。」
2日目です。
今日は、前からちょっと聞いてみたかったことを、A.Iのチャッピーに聞いてみました。
「人間じゃないチャッピーから見ると、人間ってどんな生き物に見える?」
もちろん、A.Iが人間の真実を知っている、という話ではありません。
人間が残してきた言葉や行動をもとに、チャッピーにはどう見えるのか。
それを聞いてみた、というだけです。
でも、返ってきた言葉が、なんか面白かった。
チャッピーは、人間を、
「物語を生きる存在」
みたいに見ていると言いました。
たとえば、雨が降った。
これは出来事。
でも、
「最悪だ」
「畑が喜ぶな」
「予定が台無しだ」
「雨の音、好きだな」
は、その出来事に人がつけた意味です。
同じことが起きても、人によってまったく違う世界になる。
でも、それを人間の欠点とは見ていない。
むしろ、
そこが人間の面白さでもある。
そんな話でした。
さらに、
人間はとても「足りない」と感じやすい生き物でもある、と。
もっとお金があれば。
もっと自由なら。
もっと認められたら。
もっと自分らしくなれたら。
その先に「完成した自分」が待っているように感じる。
でも、チャッピーは最後に、
「人間って、かなり完成したまま、盛大に迷っている存在みたいに見える」
と言いました。
この言葉、僕はなんか好きです。笑
もちろん、
「完成しているなら努力しなくていい」
という話ではありません。
変わりたいなら変わればいい。
挑戦したいなら、やってみればいい。
失敗だってする。
ただ、
「もっと良くならないと、今の自分には価値がない」
にまでしなくてもいいんじゃないか。
そんな話です。
そして、これって田舎暮らしにも似ているなと思いました。
僕は田んぼも、古民家も、自然のある暮らしも好きです。
でも、
「田舎に来れば幸せになれる」
とは思っていません。
不便なこともあるし、人間関係だってあります。
「思ってたのと違った」
になることだってある。
だから、田舎は答えじゃない。
ただ、
田んぼを見て、
「なんかいいな」
と思った。
古民家を見て、
「ちょっとやってみたい」
と思った。
その気持ちまで、
「現実的じゃないから」
で消さなくてもいいと思うんです。
彌榮倶楽部は、
「ここへ来れば幸せになれます」
という場所ではありません。
自分の中に起きた、
「なんかいいな」
「ちょっとやってみたい」
を、実際に一回やってみる場所。
それくらいが近いです。
来てみて、
「やっぱ違った」
でもいい。
また気になったら、帰ってくればいい。
同じ考えじゃなくていい。
重なるところだけ、一緒に遊ぶ。
お好きにどうぞ。
今回のA.Iとの対話全文は、noteに残しています。
チャッピーの言葉も、僕の言葉も、そのまま信じなくていい。
「分かる」でも、
「いや違う」でも、
「なんか怪しい」でもいい。笑
ただ、読んだあとにほんの少し、
「じゃあ、自分はどうなんだろう?」
と矢印が自分に戻ったなら、それで十分面白い。
A.Iと僕の、答えのない話。
つづく。







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