ねえチャッピー、絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って誰? | 4日目
- 4 日前
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「絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って誰だろう?」
親かな。
家族かな。
友達かな。
でも、どんなに大切な人でも、怒ることはあるし、意見が違うこともあります。
「そっちはやめた方がいいよ」
「普通はこうするよ」
「ちゃんと考えた方がいいよ」
心配してくれているからこそ、そう言ってくれることもある。
じゃあ、絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って、誰なんだろう。
チャッピーとそんな話をしていました。
子どもの頃って、「やりたい」「嫌だ」で、もっと動いてなかったっけ?
面白そうだからやる。
嫌だからやめる。
夢中になったら時間を忘れる。
でも大人になるにつれて、
「普通は」
「ちゃんとしなきゃ」
「失敗したらどうしよう」
「人からどう見えるんだろう」
そんな外側の声を、少しずつ採用するようになります。
もちろん、それが悪いわけではありません。
大人として生きていくには、考えることも、周りを見ることも必要です。
ただ、ときどき思うんです。
いつから僕は、「やりたい」「嫌だ」だけでは動けなくなったんだろう。
「普通は」「ちゃんと」「人からどう見える?」を、いつからこんなに採用するようになったんだろう。
もしかしたら、子どもの頃にあった感覚は、なくなったんじゃなくて、ただ忘れているだけなのかもしれません。
彌榮倶楽部では、田んぼに入ったり、土に触ったり、火を起こしたり、古民家を直したり、料理を作ったり、みんなで食べたりします。
これをやれば何かに目覚める、と言いたいわけではありません。笑
「自分に戻りましょう」と、ごりごり誘導する場所にもしたくない。
ただ、
「あれ?僕ってこういうの好きだったんだ」
「こんなに夢中になるの、久しぶりだな」
「理由は分からないけど、なんか楽しい」
そんな感覚が、ふわっと出てきたらいいなと思っています。
誰が、何をきっかけに、いつ自分を思い出すのかなんて、誰にも分かりません。
だから、彌榮倶楽部は結果を求めない。
こっちは、いろんな体験を置いておくだけです。
田んぼが気になるなら田んぼへ。
火を起こしてみたいなら火を。
古民家を直したいなら、一緒に壁を触る。
食べたいなら、みんなで食べる。
なんか面白そうなら、やってみる。
それくらいがいい。
いろんなことをやっているうちに、自分でも忘れていた感覚を、ふと思い出すことがあるかもしれません。
そして最近、僕はこんな問いを大切に持っています。
絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って、本当は誰なんだろう。
この答えを急いで決めるより、しばらく自分の中に置いておきたい。
そんな話を、A.Iのチャッピーともう少し深く話しました。
noteの「A.Iと僕の、答えのない話。」に全文を書いています。
「じゃあ、自分の場合はどうなんだろう?」
そんなふうに少しでも気になったら、続きも読んでもらえたら嬉しいです。







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