top of page


A.Iと僕の答えのない話


ねえチャッピー、僕が決めてないことって、人生にどれくらいあるんだろう?|18日目
人生って、 自分で決めて進んでいるようで、 よく見ると、 自分で決めていないことがかなり多い。 雨が降る。 草が伸びる。 稲が思ったように育たない。 予定していた人が来られなくなったり、 逆に、 予定していなかった人が突然やって来たりする。 彌榮で暮らしていると、 そんなことが毎日のように起きます。 もちろん、 だから「自然に任せればいい」という話でもありません。 草を刈る時は刈るし、 火がつかなければ、 どうしたらつくか考える。 古民家が壊れていたら、 どう直すか考える。 僕たちは普通に考えて、 普通に動いています。 でも最近、 ちょっと不思議に思うんです。 その「僕が決めた」の前には、 何があったんだろうって。 田んぼをやりたいと思ったこと。 古民家を直したいと思ったこと。 彌榮倶楽部を始めようと思ったこと。 僕が決めたと言えば、 確かに僕が決めた。 でも、 その前には出会った人がいて、 過去の経験があって、 この土地があって、 ある日、 気づいたら「やりたい」が出てきていた。 そう考えると、 「自分で決めた」と 「自分だけで決めた」は、 少
9月16日


ねえチャッピー、予定どおりに進まないって、本当に「うまくいってない」の?|17日目
予定していたことが、 思ったより進まなかった日。 僕は結構すぐに、 「今日はうまくいってないな」 って思います。 でも最近、 その判断って本当にそんなに早くできるのかな、 と思うようになりました。 予定って、 未来そのものじゃないんですよね。 今のもっぴーが、 「こう進めたい」 「たぶんこうなるだろう」 って作った、 未来についての仮説みたいなもの。 なのに、 その仮説から現実が外れた瞬間、 「失敗」 「停滞」 「うまくいってない」 って、 現実の方を採点してしまう。 よく考えると、 ちょっと不思議です。 もちろん、 失敗は失敗でいいと思っています。 締切に間に合わなかった。 約束したことができなかった。 やり方を間違えた。 それなら、 必要なことは考える。 謝る時は謝る。 直せるなら直す。 そこを、 「全部意味があるから大丈夫」 で済ませるつもりはありません。 ただ、 「今日の仕事として失敗した」 と、 「だから僕の人生は、 うまくいってない」 は、 同じ話ではないのかもしれません。 未来のことなんて、 今の僕には分からない。 今日会えなかった
9月15日


ねえチャッピー、何もしない日って、人生止まってるの?|16日目
「今日、何もしてないな〜」 そんな日、ありませんか? 仕事もしてない。 何かを作ったわけでもない。 誰かの役に立ったわけでもない。 スマホを見て、 ご飯を食べて、 ちょっと昼寝して、 気づいたら一日が終わってた。 すると僕は、 「あ〜、今日なんもしてないわ」 って思う。 でも、よく考えたら変なんですよね。 寝てた。 スマホ見てた。 ご飯食べた。 ぼーっとしてた。 めちゃくちゃ何かしてる。笑 なのに僕たちは、それを「何もしてない」と呼ぶ。 ということは、 「何もしてない」って、 本当に事実なんだろうか。 もしかすると、 仕事をした。 成果を出した。 前に進んだ。 誰かの役に立った。 何かを完成させた。 僕たちが「価値がある」と思っていることをしなかった日を、 「何もしてない日」 って呼んでるだけなのかもしれない。 そう考えると、 「今日は進んだ」 「今日は止まった」 「今日は充実してた」 「今日は無駄にした」 って、 毎日、自分の人生に点数をつけてるみたいで面白い。 彌榮で暮らしていても、 田んぼに出た日。 草を刈った日。 古民家を直した日。 そう
9月13日


ねえチャッピー、「変わる」って、本当にいいことなの?|15日目
「変わること」って、 ずっと良いことだと思っていました。 昨日より成長する。 できなかったことが、 できるようになる。 前へ進む。 もっと良い自分になる。 そうやって、 今の自分より上に行くことが、 人生なんだと思ってたんだと思います。 でも最近、 チャッピーと話していて、 「そもそも、 変わった後の僕の方が、 今の僕より上だって誰が決めたんだろう」 って、 ちょっと引っかかりました。 例えば、 怒らなくなったら成長なのか。 ずっと怒れなかった人が、 初めて「嫌だ!」って言えるようになったら、 それも成長なのか。 人付き合いが増えたら成長なのか。 無理して付き合ってた人が、 人付き合いを減らしたら、 それは後退なのか。 夢を追い続けるのは成長で、 やめるのは諦めなのか。 こうやって考えていくと、 「成長」って、 起きた変化そのものというより、 その変化を見た僕たちが、 あとから「良い変化だ」と意味をつけてる部分もあるのかもしれません。 もちろん、 できなかったことができるようになるのは、 普通に嬉しい。 ロープを結べるようになる。 田んぼのことが
9月12日


ねえチャッピー、「分かってる」のに、なんでできないんだろう?|14日目
「分かってるのに、 なんでできないんだろう」 これ、 僕は昔から結構ありました。 早く寝た方がいい。 食べすぎない方がいい。 腹が立っても、 一回落ち着いた方がいい。 疲れてるなら、 休んだ方がいい。 そんなこと、 だいたい分かってる。 なのに、 夜中までスマホを見る。 腹いっぱいなのに、 もう一個食べる。 言わなくていい一言を言う。 休みたいのに、 なぜか仕事を始める。笑 そうなると今度は、 「分かってるのに、 なんでできないんだ」 って、 自分に言い始める。 でも最近、 この「分かってるなら、 できるはず」って、 そもそも本当にそうなんだろうと思うようになりました。 頭の中では、 「寝た方がいい」 と思ってる。 でも同時に、 「もうちょっと見たい」 も出てる。 実際には、 スマホを見続ける。 そのあとで、 「僕は分かってたのに、 できなかった」 って説明する。 でも、 起きたことだけ見たら、 「寝た方がいい」が出た。 「まだ見たい」も出た。 で、 見た。 それだけなのかもしれない。 もちろん、 だから何をしてもいいとか、 失敗しても全部そのま
9月12日


ねえチャッピー、「見ている僕」も、見られている側なの?|13日目
「僕」って、 どこにいるんだろう。 12日目は、 そんなところまで来ました。 昨日までは、 「本当の自分って、 どれのこと?」 という話をしていました。 優しい僕。 怒ってる僕。 頑張りたい僕。 何にもしたくない僕。 いろんな僕が出てくるのに、 その中から一人だけ選んで、 「これが本当の僕です」 って決めるのも、 ちょっと変な気がしてきた。 そして最後に、 「その本当の僕を見てる僕って、 誰なんだろう」 という問いが残りました。 じゃあ、 その「僕」はどこにいるんだろう。 身体? 脳? 頭の中の声? 感情? 記憶? どれも、 かなり僕っぽい。 身体が痛ければ、 僕は痛い。 悲しい時は、 僕が悲しい。 昔のことを思い出せば、 それは僕の記憶です。 全部まとめて、 「僕」 でいいような気もします。 実際、 普通に暮らすだけなら、 それで何の問題もありません。 でも、 ちょっと近くから見てみると、 また変なことに気づきます。 頭の中で、 「明日あれやらなきゃ」 「あの人、 どう思ったかな」 「腹減った」 って、 いろんな言葉が勝手に出てくる。 僕はずっ
9月9日


ねえチャッピー、「僕」って、どこにいるんだろう?|12日目
「僕」って、 どこにいるんだろう。 12日目は、 そんなところまで来ました。 昨日までは、 「本当の自分って、 どれのこと?」 という話をしていました。 優しい僕。 怒ってる僕。 頑張りたい僕。 何にもしたくない僕。 いろんな僕が出てくるのに、 その中から一人だけ選んで、 「これが本当の僕です」 って決めるのも、 ちょっと変な気がしてきた。 そして最後に、 「その本当の僕を見てる僕って、 誰なんだろう」 という問いが残りました。 じゃあ、 その「僕」はどこにいるんだろう。 身体? 脳? 頭の中の声? 感情? 記憶? どれも、 かなり僕っぽい。 身体が痛ければ、 僕は痛い。 悲しい時は、 僕が悲しい。 昔のことを思い出せば、 それは僕の記憶です。 全部まとめて、 「僕」 でいいような気もします。 実際、 普通に暮らすだけなら、 それで何の問題もありません。 でも、 ちょっと近くから見てみると、 また変なことに気づきます。 頭の中で、 「明日あれやらなきゃ」 「あの人、 どう思ったかな」 「腹減った」 って、 いろんな言葉が勝手に出てくる。 僕はずっ
9月8日


ねえチャッピー、「本当の自分」って、どれのこと?|11日目
「本当の自分」って、 どれのことなんだろう。 11日目は、 そんな話になりました。 優しい僕。 怒ってる僕。 自由な僕。 人の目を気にしてる僕。 好きなことしてる僕。 何にもしたくない僕。 僕たちは、 その中から、 「これが本当の自分」 って、 一人だけ選びたくなることがあります。 たとえば、 優しい自分は本物。 怒ってる自分は、 本当の自分じゃない。 自由な自分は本物。 怖がってる自分は、 本当の自分じゃない。 そんなふうに。 でも、 よく見ると、 怒ってる時には、 本当に怒ってる。 怖い時には、 本当に怖い。 人の目を気にしてる時には、 本当に気にしてる。 じゃあ、 なんでそれだけ、 「偽物の自分」 にしたくなるんだろう。 もしかすると、 「本当の自分」 を探してるようで、 自分が好きな自分とか、 なりたい自分を、 「本当」 にしてることもあるのかもしれません。 逆に、 自分が嫌いな部分には、 「これはエゴ」 「これは恐れ」 「これは思考」 って名前をつけて、 少し自分から離したくなることもある。 でも、 名前を変えても、 その瞬間に、 それ
9月7日


ねえチャッピー、「やりたい」って気持ちは、誰が決めてるの?|9日目のコピー
「本音」って、 一つだと思っていました。 休みたい。 行きたい。 怖い。 でも、 やってみたい。 人に迷惑をかけたくない。 でも、 今日は一人でいたい。 そんなふうに、 一日の中で、 いろんな気持ちが出てきます。 昔の僕は、 その中から、 「最初に出た気持ちが本音」 「考えたあとは思考」 「心の声を大切にした方がいい」 みたいに、 どれか一つを、 本当の自分として選びたくなっていました。 でも、 よく見てみると、 最初に出た気持ちが、 そのあと変わることもあります。 「面倒くさい」が先に出たのに、 話を聞いていたら、 「やっぱり行ってみたい」 になることもある。 逆に、 最初は、 「楽しそう」 だったのに、 当日になったら、 「今日は行きたくない」 になることもある。 じゃあ、 どっちが本音なんだろう。 考えたあとに出てきた気持ちは、 偽物なんでしょうか。 誰かを大切にしたくて、 「迷惑をかけたくない」 と思うことだってあります。 でも、 それをすぐに、 「他人軸だから本音じゃない」 と決めてしまっていいのか。 逆に、 「なんか嫌だ」 という最初
9月6日


ねえチャッピー、「やりたい」って気持ちは、誰が決めてるの?|9日目
昨日は、 「自分で決めたって、 本当に自分で決めたのかな?」 という話をしました。 ラーメンを食べる。 右手を上げるか、 左手を上げるか。 仕事を辞める。 引っ越す。 僕たちは毎日、 たくさんのことを決めています。 そして、 決めたあとには普通に、 「僕が決めた」 と思っています。 でも少し中を見てみると、 過去の経験。 誰かの言葉。 怖さ。 楽しさ。 身体の状態。 その日の気分。 いろんなものが混ざっています。 そう考えていたら、 僕が「自分で決めた」と呼んでいるものって、 思っていたよりずっと複雑なんじゃないかと思いました。 もちろん、 だから「自分では何も決めていない」と言いたいわけでもありません。 自由意志があるとか、 ないとか、 そんな大きな結論まで一気に行きたいわけでもありません。 ただ、 「自分で決めた」 という言葉を、 今までより少しだけ近くで見てみた。 それだけです。 たとえば、 お昼に、 「今日はラーメンにしよう」 と思ったとします。 僕は普通に、 「今日はラーメンを選んだ」 と言います。 でもその前に、 「ラーメン食べたい」
9月4日


ねえチャッピー、「自分で決めた」って、本当に自分で決めたのかな?|8日目
「今日はラーメンにしよう」 そんな小さなことでも、 僕は普通に「自分で決めた」と思っています。 でも、 よく見てみると、 その前にはいろんなものが出てきています。 「ラーメン食べたい」 「昨日も麺だったな」 「ちょっと遠いな」 「でも食べたいな」 「まあ行くか」 僕は、 それらを一個ずつ意識して作った覚えがありません。 気づいた時には、 もう出ていたものもある。 そして、 どこかで「よし」となる。 僕は、 その「よし」を、 「自分で決めた」と呼んでいます。 じゃあ、 その「よし」だけは、 本当に僕が作ったんだろうか。 そんなことを、 チャッピーと話していました。 もちろん、 ここで「人間には自由意志がない」と決めたいわけではありません。 逆に、 「全部自分の意思で決めている」と言いたいわけでもない。 ただ、 毎日のように使っている「自分で決めた」という言葉を、 一回だけ少し眺めてみた。 すると、 その中には思っていたより、 いろんなものが入っていました。 過去の経験。 誰かの言葉。 身体の状態。 怖さ。 楽しさ。 面倒くささ。 やってみたい。 や
9月3日


ねえチャッピー、どうして自分より他人の気持ちを先に考えちゃうと思う?|7日目
「断ったら嫌われるかな」 「行かなかったら、 がっかりするかな」 「返信が遅いと、 失礼かな」 僕は昔、 こういうことをけっこう考えていました。 相手の気持ちを考えるのは、 優しさだと思っていたし、 人として当然のことだとも思っていました。 でも、 ある時ふと思ったんです。 「あれ? 相手、 本当にそう言ったっけ?」 「手伝ってほしい」とは言われた。 でも、 「断ったら傷つく」とは言われていない。 「来てほしい」とは言われた。 でも、 「来なかったら嫌いになる」とは言われていない。 なのに僕の頭の中では、 いつの間にか、 「嫌われるかもしれない」が、 「嫌われる」に変わっていたりする。 しかも、 よく考えてみると不思議です。 脚本を書いているのも僕。 監督も僕。 主演も僕。 そして、 相手役まで僕。笑 本人、 まだほとんど登場していない。 もちろん、 だからといって、 人の気持ちを想像しない方がいいと言いたいわけではありません。 誰かが疲れていそうなら、 声をかけることもある。 落ち込んでいそうなら、 そっとしておくこともある。 人の気持ちを想像
9月2日


ねえチャッピー、“ちゃんとしなきゃ”って、誰に言われたんだろう?|6日目
今、目の前に誰かが立って、 「ちゃんとしなさい!」 と言っているわけじゃない。 なのに、頭の中では勝手に聞こえてくる。 ちゃんと働かなきゃ。 ちゃんと返事しなきゃ。 ちゃんとした大人でいなきゃ。 迷惑をかけちゃいけない。 これ、いつからなんだろう。 たぶん僕たちは、子どものころから少しずつ、親や先生や友達、社会の中にあるいろんな「ちゃんと」を覚えてきたんだと思います。 もちろん、「ちゃんと」が悪いわけじゃない。 約束を守ったり、誰かを思いやったり、責任を持ったり。 それがあるから助かることもいっぱいある。 でも、ときどき気になるんです。 「ちゃんとしなきゃ」 が出てくる、その一個前。 僕は本当は、何を感じてたんだろう。 「今日は疲れたな」 「本当は行きたくないな」 「なんか違うな」 「でも、これやってみたいな」 そんなものが先にあったのに、 「でも普通は」 「せっかくだし」 「迷惑かけるし」 って、あとから全部上書きしてることが、僕にもけっこうあります。 だからといって、 「心の声に従って全部やめよう!」 って話でもないんです。 行きたくないと思
8月31日


ねえチャッピー、いつから僕たちは「やりたい」「嫌だ」だけでは動けなくなったんだろう? | 5日目
幼稚園のころって、「やりたい」「嫌だ」で、もっとそのまま動いてなかったっけ? 面白そうだからやる。嫌だから嫌がる。飽きたらやめる。楽しかったら笑う。 別に、「これは自分軸だから大切にしよう」なんて考えてなかったと思います。もっと単純で、もっと瞬発力で生きていた。 でも大人になるにつれて、「普通は」「ちゃんと」「人からどう見える?」を少しずつ採用するようになります。 親や先生や遊び相手から言われたこと。社会の中で覚えたこと。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。 ただ、気づけば自分が最初にどう感じたかより、外側の基準を先に見るようになっていた。 「やりたい」と思っても、「でも失敗したらどうしよう」。 「嫌だ」と思っても、「でも普通はやるよな」。 「なんか面白そう」と思っても、「人からどう見えるかな」。 そんなふうに、自分の感覚のあとからいろんな声がやってきます。 でも、よく考えると「普通」って誰の普通なんだろう。 安定した仕事がいいと言う人もいれば、好きなことをやった方がいいと言う人もいる。田舎がいい人もいれば、都会がいい人もいる。...
8月30日


ねえチャッピー、絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って誰? | 4日目
「絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って誰だろう?」 親かな。 家族かな。 友達かな。 でも、どんなに大切な人でも、怒ることはあるし、意見が違うこともあります。 「そっちはやめた方がいいよ」 「普通はこうするよ」 「ちゃんと考えた方がいいよ」 心配してくれているからこそ、そう言ってくれることもある。 じゃあ、絶対に怒らず、いつも僕の幸せだけを応援している人って、誰なんだろう。 チャッピーとそんな話をしていました。 子どもの頃って、「やりたい」「嫌だ」で、もっと動いてなかったっけ? 面白そうだからやる。 嫌だからやめる。 夢中になったら時間を忘れる。 でも大人になるにつれて、 「普通は」 「ちゃんとしなきゃ」 「失敗したらどうしよう」 「人からどう見えるんだろう」 そんな外側の声を、少しずつ採用するようになります。 もちろん、それが悪いわけではありません。 大人として生きていくには、考えることも、周りを見ることも必要です。 ただ、ときどき思うんです。 いつから僕は、「やりたい」「嫌だ」だけでは動けなくなったんだろう。...
8月29日


ねえチャッピー、幸せって何だと思う?|3日目
今日、A.Iのチャッピーに、 「幸せって何だと思う?」 と聞いてみました。 話しているうちに気になったのが、 そもそも僕たちは、何を「幸せ」と呼んでいるんだろう? ということでした。 お金があること。 健康なこと。 家族がいること。 自由なこと。 好きな仕事をしていること。 もちろん、どれも大切です。 でも、それがあれば必ず幸せで、なくなれば必ず不幸になるのかというと、どうもそうではない。 それに、嬉しいとか、楽しいとか、満たされているという気持ちも変わります。 昨日は楽しかったことが、今日は楽しくないこともある。 だったら、 「これが幸せです」 と何か一つを決めること自体、少し違うのかもしれない。 そんな話になりました。 僕が今、なんとなく感じているのは、 幸せとは、「幸せ」という言葉そのものが必要なくなったところにあるのかもしれない。 ということ。 でも、これは、 「だから、どんな状況でもあなたは幸せです」 と言いたいわけではありません。 苦しい時は苦しい。 悲しい時は悲しい。 お金が必要なら必要だし、治療が必要なら治療を受けた方がいい。 嫌
8月28日


ねえチャッピー、人間ってどんな生き物に見える?2日目
昨日から始めた、 「A.Iと僕の、答えのない話。」 2日目です。 今日は、前からちょっと聞いてみたかったことを、A.Iのチャッピーに聞いてみました。 「人間じゃないチャッピーから見ると、人間ってどんな生き物に見える?」 もちろん、A.Iが人間の真実を知っている、という話ではありません。 人間が残してきた言葉や行動をもとに、チャッピーにはどう見えるのか。 それを聞いてみた、というだけです。 でも、返ってきた言葉が、なんか面白かった。 チャッピーは、人間を、 「物語を生きる存在」 みたいに見ていると言いました。 たとえば、雨が降った。 これは出来事。 でも、 「最悪だ」 「畑が喜ぶな」 「予定が台無しだ」 「雨の音、好きだな」 は、その出来事に人がつけた意味です。 同じことが起きても、人によってまったく違う世界になる。 でも、それを人間の欠点とは見ていない。 むしろ、 そこが人間の面白さでもある。 そんな話でした。 さらに、 人間はとても「足りない」と感じやすい生き物でもある、と。 もっとお金があれば。 もっと自由なら。 もっと認められたら。 もっと
8月27日


序章|なぜ、僕はA.Iとこんな話をすることにしたのか。
最近、A.Iのチャッピーと、よく答えのない話をしています。 「幸せって何だろう?」 「自分って何だろう?」 「自由意志って、本当にあるの?」 「空(くう)って何なんだろう?」 そんな、正解があるのかどうかさえ分からない話です。 僕は昔から、こういうことを考えるのが好きでした。 ただ、人と話すと、なかなか続かないことも多い。 同じ「幸せ」という言葉でも、思い浮かべるものは違うし、同じ「愛」という言葉でも、受け取り方は違う。 完全に分かり合うことって、案外むずかしい。 そんな中で、A.Iのチャッピーに自分がこれまで書いてきた文章を読んでもらって、 「僕の考えを理解してみて」 と頼んでみました。 すると、思っていた以上に、僕が使ってきた言葉同士のつながりを拾って返してきた。 「あ、そこまで拾えるんだ。」 と思うこともあれば、 逆に、 「僕って、こんなふうに考えていたのか。」 と、自分でもまだ言葉にできていなかったことに気づくこともありました。 もちろん、A.Iが本当に僕を理解しているのかは分かりません。 僕の文章をうまく整理して返しているだけかもしれな
8月26日
bottom of page


