ねえチャッピー、いつから僕たちは「やりたい」「嫌だ」だけでは動けなくなったんだろう? | 5日目
- 2 日前
- 読了時間: 3分

幼稚園のころって、「やりたい」「嫌だ」で、もっとそのまま動いてなかったっけ?
面白そうだからやる。嫌だから嫌がる。飽きたらやめる。楽しかったら笑う。
別に、「これは自分軸だから大切にしよう」なんて考えてなかったと思います。もっと単純で、もっと瞬発力で生きていた。
でも大人になるにつれて、「普通は」「ちゃんと」「人からどう見える?」を少しずつ採用するようになります。
親や先生や遊び相手から言われたこと。社会の中で覚えたこと。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
ただ、気づけば自分が最初にどう感じたかより、外側の基準を先に見るようになっていた。
「やりたい」と思っても、「でも失敗したらどうしよう」。
「嫌だ」と思っても、「でも普通はやるよな」。
「なんか面白そう」と思っても、「人からどう見えるかな」。
そんなふうに、自分の感覚のあとからいろんな声がやってきます。
でも、よく考えると「普通」って誰の普通なんだろう。
安定した仕事がいいと言う人もいれば、好きなことをやった方がいいと言う人もいる。田舎がいい人もいれば、都会がいい人もいる。
人の数だけ「普通」があって、人の数だけ「正解」がある。
だったら、いったい誰の基準に合わせればいいんだろう。
もし今、「なんかうまくいってないな」「ちゃんとしてるはずなのに、なんか苦しいな」と感じているなら、いったん外側の基準をそっと脇に置いてみてもいいのかもしれません。
そのうえで、「で、自分はどう感じてる?」って聞いてみる。
「やりたい」だけじゃなくて、「嫌だ」も大切な感覚だと思っています。
だからといって、嫌だったら仕事も約束も全部やめよう、という話ではありません。
嫌だけどやることもある。嫌だから断ることもある。まだ決めないこともある。
ただ、その前に「あ、自分はいま嫌なんだな」と、自分だけは分かっておく。
自分の中に起きたものを、最初から無かったことにしない。
それだけでも、ずいぶん違う気がします。
これって、自己肯定感の話にもつながっているのかもしれません。
外側の基準をたくさん採用すると、人と比べて、自分にも点数をつけるようになる。
できた。できなかった。褒められた。評価されなかった。
でも幼稚園のころ、夢中で遊びながら「今日の僕の自己肯定感は72点だな」なんて考えてなかったはずです。笑
もしかしたら自己肯定感って、何かを足して高くするというより、自分を採点する前の感覚を思い出していくことなのかもしれません。
「やりたい」「嫌だ」が消えたんじゃなくて、聞かなくなっただけなのかもしれない。
僕はこの言葉が、けっこう好きです。
なくなったんじゃないなら、新しく何かを身につけなくてもいい。
忘れただけなら、また思い出せばいい。
彌榮倶楽部では、田んぼに入ったり、土に触ったり、火を起こしたり、古民家を直したり、料理をしたり、みんなで食べたりしています。
「自分に戻りましょう」と教える場所ではありません。
ただ、大人になってからあまりやらなくなったことを実際にやってみる。
その中で、「あれ、僕こういうの好きだったんだ」「こんなに夢中になるの久しぶりだな」って、何かを思い出すことがあるかもしれない。
何も起こらないかもしれない。それでもいい。
なんか気になったら、やってみる。
そんな遊び場でありたいと思っています。
今回の「A.Iと僕の、答えのない話。」では、チャッピーと「いつから僕たちは『やりたい』『嫌だ』だけでは動けなくなったんだろう?」を、もう少しじっくり話しました。
「自分はどうだったっけ?」と少しでも気になったら、noteの全文もどうぞ。 noteで全文を読んでみる







コメント