ねえチャッピー、「見ている僕」も、見られている側なの?|13日目

「僕」って、
どこにいるんだろう。
12日目は、
そんなところまで来ました。
昨日までは、
「本当の自分って、
どれのこと?」
という話をしていました。
優しい僕。
怒ってる僕。
頑張りたい僕。
何にもしたくない僕。
いろんな僕が出てくるのに、
その中から一人だけ選んで、
「これが本当の僕です」
って決めるのも、
ちょっと変な気がしてきた。
そして最後に、
「その本当の僕を見てる僕って、
誰なんだろう」
という問いが残りました。
じゃあ、
その「僕」はどこにいるんだろう。
身体?
脳?
頭の中の声?
感情?
記憶?
どれも、
かなり僕っぽい。
身体が痛ければ、
僕は痛い。
悲しい時は、
僕が悲しい。
昔のことを思い出せば、
それは僕の記憶です。
全部まとめて、
「僕」
でいいような気もします。
実際、
普通に暮らすだけなら、
それで何の問題もありません。
でも、
ちょっと近くから見てみると、
また変なことに気づきます。
頭の中で、
「明日あれやらなきゃ」
「あの人、
どう思ったかな」
「腹減った」
って、
いろんな言葉が勝手に出てくる。
僕はずっと、
それを「僕の考え」って呼んできました。
でも、
「また余計なこと考えてるな」
って、
その考えに気づくこともある。
すると今度は、
喋ってる方が僕なのか。
それに気づいてる方が僕なのか。
分からなくなってくる。
ここで僕はすぐ、
「じゃあ、
気づいてる方が本当の僕だ」
って言いたくなりました。
でも、
昨日も同じことをやってたんですよね。笑
いろんな自分の中から、
また一人だけ選んで、
「はい、
あなたが本物です」
って。
そこでチャッピーに、
「考えに気づいてる。
怒ってることにも気づいてる。
そこまでは分かるよね。
でも、
『気づいてる』ってことと、
『それを見てる僕が別にいる』ってことは、
本当に同じなのかな」
って聞かれました。
……。
ここで、
また止まりました。
僕は今まで、
何かに気づいたら、
そこには必ず、
「気づいている僕」
がいると思ってた。
でも、
もしかしたら僕は、
気づきが起きた瞬間に、
そこへ「見てる僕」を一人置いてたのかもしれない。
もちろん、
だから、
「見てる僕なんていない」
と言いたいわけではありません。
それも、
僕には分かりません。
身体が僕なのかもしれない。
脳が僕なのかもしれない。
全部まとめて僕なのかもしれない。
ただ、
普段あまりにも普通に使っている、
「僕」
という言葉が、
近づいて見てみたら、
思っていたよりずっと分からなかった。
今は、
それくらいです。
そして、
こんなことを延々考えてる僕も、
田んぼに入ると、
ほとんど全部忘れます。笑
泥に足を取られたら、
「うわ、
深っ」
ってなる。
草を刈ってたら、
草を見る。
火がつかなければ、
火を見る。
お腹がすいたら、
ご飯を食べる。
その時、
「今、
僕は身体なのか?」
とか、
「この感情を見ている主体は?」
なんて、
考えてません。笑
普通に、
その場にいる。
彌榮倶楽部で過ごしていると、
こういうことがよくあります。
頭の中では、
ものすごく深いことを考えていたのに、
田んぼに出た瞬間、
泥の方が強い。笑
火がついたら、
ちょっと嬉しい。
ご飯ができたら、
食べる。
誰かが笑ったら、
つられて笑う。
そうしているうちに、
さっきまで必死に探していた「僕」が、
どうでもよくなっている。
でも、
何日かすると、
また、
「あれ?」
が戻ってくる。
探すと、
見つからない。
探してない時は、
普通に僕として暮らしてる。
なんなんでしょうね。
12日目は、
「僕ってどこにいる?」から始まって、
最後には、
「そもそも、
その『見ている僕』って、
本当にいるの?」
というところまで来ました。
まだ、
答えはありません。
なので今日は、
もうご飯を食べます。笑
続きはnoteに書いています。 noteで全文を読んでみる







コメント