ねえチャッピー、「本当の自分」って、どれのこと?|11日目

「本当の自分」って、
どれのことなんだろう。
11日目は、
そんな話になりました。
優しい僕。
怒ってる僕。
自由な僕。
人の目を気にしてる僕。
好きなことしてる僕。
何にもしたくない僕。
僕たちは、
その中から、
「これが本当の自分」
って、
一人だけ選びたくなることがあります。
たとえば、
優しい自分は本物。
怒ってる自分は、
本当の自分じゃない。
自由な自分は本物。
怖がってる自分は、
本当の自分じゃない。
そんなふうに。
でも、
よく見ると、
怒ってる時には、
本当に怒ってる。
怖い時には、
本当に怖い。
人の目を気にしてる時には、
本当に気にしてる。
じゃあ、
なんでそれだけ、
「偽物の自分」
にしたくなるんだろう。
もしかすると、
「本当の自分」
を探してるようで、
自分が好きな自分とか、
なりたい自分を、
「本当」
にしてることもあるのかもしれません。
逆に、
自分が嫌いな部分には、
「これはエゴ」
「これは恐れ」
「これは思考」
って名前をつけて、
少し自分から離したくなることもある。
でも、
名前を変えても、
その瞬間に、
それが出てることは変わらない。
じゃあ、
全部が本当の自分なのか。
それも、
ちょっと変な感じがします。
だって、
全部が本当なら、
わざわざ、
「本当の自分」
って言わなくてもいい。
ただ、
「自分」
でいいはずです。
ということは、
「本当の自分」
って言った瞬間に、
その反対側に、
「本当じゃない自分」
まで作ってるのかもしれない。
そこが、
今回いちばん気になったところでした。
でも、
だからって、
「本当の自分なんていない」
って言いたいわけではありません。
それも、
僕には分かりません。
ただ、
「本当の自分」
っていう言葉を使う時に、
自分の中で何を本物にして、
何を偽物にしてるんだろう。
そこを、
少し見てみたくなりました。
彌榮倶楽部で過ごしてても、
その人のいろんな顔が出てきます。
田んぼに入って、
子どもみたいに笑ってる人。
泥が深くて、
「もう無理」
って言ってる人。
火がつかなくて、
ちょっとムキになってる人。
ご飯ができたら、
さっきまでの真剣な顔が消えて、
普通に食べてる人。笑
僕も同じです。
田んぼにいる僕。
PCの前にいる僕。
誰かと話してる僕。
一人でいる僕。
チャッピーと、
「本当の自分って何?」
って話してる僕。
どれも、
少し違います。
でも、
田んぼに入ってる時は、
「今の僕が本当の僕かな?」
なんて考えてません。
泥に足を取られて、
「うわ、深っ」
ってなってるだけ。笑
火がつかなければ、
火を見る。
お腹がすけば、
ご飯を食べる。
疲れたら、
疲れてる。
笑う時は、
笑ってる。
一日の中で、
いろんな僕が出てきて、
気づいたら、
日が暮れます。
じゃあ、
その中のどれか一人だけが、
「本当の僕」
なんでしょうか。
それとも、
「本当の僕を探さなきゃ」
って思った瞬間に、
僕はまた、
自分の中を、
本物と偽物に分けてるんでしょうか。
まだ、
よく分かりません。
でも、
今回は、
「本当の自分を見つけたい」
よりも、
「僕はいま、
何を本当の自分って呼んでるんだろう」
の方が、
ちょっと気になっています。
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