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ねえチャッピー、「自分で決めた」って、本当に自分で決めたのかな?|8日目

9月3日
読了時間: 3分


「今日はラーメンにしよう」


そんな小さなことでも、

僕は普通に「自分で決めた」と思っています。


でも、

よく見てみると、

その前にはいろんなものが出てきています。


「ラーメン食べたい」


「昨日も麺だったな」


「ちょっと遠いな」


「でも食べたいな」


「まあ行くか」


僕は、

それらを一個ずつ意識して作った覚えがありません。


気づいた時には、

もう出ていたものもある。


そして、

どこかで「よし」となる。


僕は、

その「よし」を、

「自分で決めた」と呼んでいます。


じゃあ、

その「よし」だけは、

本当に僕が作ったんだろうか。


そんなことを、

チャッピーと話していました。


もちろん、

ここで「人間には自由意志がない」と決めたいわけではありません。


逆に、

「全部自分の意思で決めている」と言いたいわけでもない。


ただ、

毎日のように使っている「自分で決めた」という言葉を、

一回だけ少し眺めてみた。


すると、

その中には思っていたより、

いろんなものが入っていました。


過去の経験。


誰かの言葉。


身体の状態。


怖さ。


楽しさ。


面倒くささ。


やってみたい。


やめておきたい。


そういうものが、

いろいろ出てきて、

どこかで「こうしよう」になる。


それを、

僕は「僕が決めた」と呼んでいる。


それが間違いなのか。


普通にそれでいいのか。


そもそも、

そんなことを区別する必要があるのか。


そこまでは、

まだ分かりません。


でも、

昨日まで何の疑問もなく使っていた言葉が、

少しだけ不思議に見えるようになりました。


彌榮倶楽部でも、

小さな「決める」はたくさんあります。


田んぼをやる。


今日はやめておく。


古民家を直す。


ちょっと休む。


火を起こす。


誰かに任せる。


料理をする。


食べる。


最初はやるつもりがなかったのに、

見ていたらなんだかやりたくなることもある。


楽しみにしていたのに、

当日になったら「あれ、

今日はいいかな」となることもある。


だからといって、

「自分の気持ちを優先するのが正解」とも思っていません。


「一度決めたことは、

最後までやるのが正解」とも思っていません。


そもそも、

田んぼで泥だらけになっている時に、

そんなことを考えていない日もあります。笑


田植えして、

腰が痛くなって、

誰かが変なことを言って、

笑って、

お腹が空いて、

みんなでご飯を食べる。


ただ、

そんな一日。


でも、

その途中でふと、

「あれ?

僕はなんで今これをやってるんだろう」と思うことがあります。


何も思わないこともあります。


それも含めて、

彌榮倶楽部では、

いろんな人が、

いろんなまま一緒に何かをやっています。


何かに気づくための場所でも、

正しい自分になるための場所でもありません。


田んぼをやって、

古民家を直して、

火を起こして、

作って、

食べて、

笑う。


その途中で、

何かが気になったら、

その「あれ?」もそこにある。


何も気にならなければ、

それもそのまま。


今日、

ぼくたちには、

「自分で決める」ということが、

昨日までより少しだけ不思議に見えました。


そして今、

もう一つ気になっています。


決めるより前に出てくる、

「やりたい」


「食べたい」


「行きたくない」


あれって、

いったいどこから来るんだろう。


まだ、

答えは出ていません。


でも、

そういう問いを持ちながら、

今日も普通に暮らしています。


田んぼをやったり、

火を起こしたり、

ご飯を食べたりしながら。


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