ねえチャッピー、「変わる」って、本当にいいことなの?|15日目

「変わること」って、
ずっと良いことだと思っていました。
昨日より成長する。
できなかったことが、
できるようになる。
前へ進む。
もっと良い自分になる。
そうやって、
今の自分より上に行くことが、
人生なんだと思ってたんだと思います。
でも最近、
チャッピーと話していて、
「そもそも、
変わった後の僕の方が、
今の僕より上だって誰が決めたんだろう」
って、
ちょっと引っかかりました。
例えば、
怒らなくなったら成長なのか。
ずっと怒れなかった人が、
初めて「嫌だ!」って言えるようになったら、
それも成長なのか。
人付き合いが増えたら成長なのか。
無理して付き合ってた人が、
人付き合いを減らしたら、
それは後退なのか。
夢を追い続けるのは成長で、
やめるのは諦めなのか。
こうやって考えていくと、
「成長」って、
起きた変化そのものというより、
その変化を見た僕たちが、
あとから「良い変化だ」と意味をつけてる部分もあるのかもしれません。
もちろん、
できなかったことができるようになるのは、
普通に嬉しい。
ロープを結べるようになる。
田んぼのことが少し分かるようになる。
古民家の作業が上手くなる。
火が前より扱えるようになる。
それは、
できることが増えたってことだと思います。
でも、
「できることが増えた」と、
「人として価値が上がった」は、
本当に同じなんでしょうか。
僕はたぶん、
そこをかなり混ぜていた気がします。
できない僕は、
まだ足りない。
分からない僕は、
まだ未完成。
もっと知って、
もっとできるようになって、
もっと変わらなきゃ。
ずっとそんな感じで、
山を登っていたのかもしれません。
でも最近、
久しぶりに田んぼへ行くと、
前に見た時より、
稲が伸びてる。
草も増えてる。
水の感じも変わってる。
僕はその間、
稲に向かって、
「昨日より成長しろ!」
なんて言ってません。笑
もちろん、
人がやることはあります。
草を刈る。
水を見る。
田んぼに入る。
古民家なら、
竹を編む。
土を塗る。
火なら、
薪を入れる。
何もしないわけじゃない。
でも、
僕たちが全部を動かしてるわけでもない。
人が手を動かしてる間にも、
土は乾く。
風が吹く。
雨が降る。
季節が変わる。
気づいたら、
僕自身の考え方まで変わってる。
それを見ていたら、
僕が「変わらなきゃ」って頑張ってる横で、
変化そのものは、
ずっと勝手に起きてるんだなと思いました。
そう考えると、
「変わるか、
変わらないか」
を僕が全部決めてるという前提も、
ちょっと怪しくなってきます。笑
ある日突然、
「もうこれは嫌だ」
が出る。
昨日までは平気だったのに、
「こっちをやりたい」
が急に出る。
そして僕は、
「僕が決めた」
って言う。
でも、
その最初の「やりたい」が出てくる瞬間を、
僕自身が決めた記憶はないんですよね。
だから最近、
人間って、
完成してから迷わなくなるんじゃなくて、
完成したまま、
盛大に迷ってるのかもしれないなと思っています。笑
迷う。
間違える。
怒る。
失敗する。
学ぶ。
変わる。
また同じこともする。
その全部がありながら、
今日も普通に生きてる。
彌榮倶楽部では、
誰かを成長させようとは思っていません。
正しい生き方を教える場所でもありません。
田んぼに入る。
古民家を直す。
火を起こす。
季節のものを食べる。
失敗する。
笑う。
またやる。
その途中で、
「あれ?」
って何かが出てきたら、
それもそのまま持って帰る。
僕はずっと、
人生は山登りみたいなものだと思っていました。
今の自分がここにいて、
もっと良い自分が上にいる。
だから、
努力して、
気づいて、
直して、
登っていく。
でも最近、
「その上って、
誰が作ったんだろう」
って思うようになりました。
山を登りたいなら、
登ればいい。
僕もまた、
普通に登ると思います。笑
ただ、
山ばかり見ていた僕の横で、
ずっと川も流れていたのかもしれない。
まだ、
その川には乗ってません。
でも、
ちょっと気になり始めています。笑
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