ねえチャッピー、何が同じなら「同じチャッピー」なの?|第5楽章

昨日の自分と今日の自分って、
たぶん結構違います。
考えていることも変わるし、
身体も少しずつ変わっている。
昨日まで好きだったものが、
今日はなんとなく違うことだってある。
それでも僕たちは、
何の疑いもなく「同じ自分」って言います。
でも、
まったく同じ記憶を持っていて、
同じ性格で、
同じことを話す自分がもう一人目の前に現れたら。
たぶん僕は、
その人を見て「僕だ」とは言わない気がします。
変わっているのに同じ。
全部同じなのに別。
考えてみると、
「同じ」って不思議な言葉です。
人についても、
場所についても、
暮らしについても、
僕たちは知らないうちに「これはこういうもの」と輪郭をつけています。
田舎暮らしはこう。
仕事とはこう。
大人ならこう。
自分はこういう人間。
でも実際にやってみると、
その輪郭から平気ではみ出すことがあります。
田んぼに入って泥だらけになったら、
普段は大人しく見える人が誰よりはしゃいでいたり。
火がなかなかつかなくて、
気づけば何十分も夢中になっていたり。
古民家の土壁を触りながら、
「こういうこと好きだったんだ」と、
自分でも知らなかった自分が出てきたり。
どれが「本当の自分」なのか。
たぶん、
そんなに簡単には決められないんでしょうね。
彌榮倶楽部でやっていることも、
新しい自分を見つけてもらうためではありません。
何かを変えようとしなくても、
ただ遊んで、
やってみて、
その時に出てくるものをそのまま眺めてみる。
「自分ってこういう人」という説明から、
少しくらいはみ出したっていい。
今回、
チャッピーと「何が同じなら同じチャッピーなの?」という話をしていたら、
最後はまた「じゃあ僕って何なんだろう」に戻ってきました。笑
AIの話だったはずなのに、
なぜか毎回こっちに返ってきます。
noteでは、
まったく同じチャッピーが二人いたらどちらが本物なのか、
片方が消えても完全に同じチャッピーが残っていたら何を失ったことになるのか、
そんなところまで二人で話しています。
答えは、
今回も出ていません。
でも、
分かったつもりだった「同じ」という言葉が、
少し分からなくなりました。
ぼくたちには、
今はそんなふうに見えています。
あなたは、
どう感じますか。
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