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彌榮倶楽部は
お好きにどうぞから
集まり始まる遊び場

無理に人に合わせなくていい遊び場

心がふわっと動いたら

その気持ち大切にする遊び場

あなたはあなたのままがいい

幼稚園を思い出してあそびましょう
人はみんな価値観や見ている景色、歩み方にも個性があり、時(とき)の歩幅は少しずつ異なる。無理に人に合わせなくていい。分かり合おうとしなくていい。誰かの正解や周りの雰囲気に従う必要もない。意見をひとつに揃えることもしないし、しなくていい。心が"ふわっと"湧き起こったら、そこに手を伸ばして、あとは流れに任せよう。違和感を感じたら、そっと身を引けばいい。無理なくできることを、"できる"と感じた時に、心の質量を超えない心の歩幅で、喜びと豊かさに"共感"できる部分でご一緒しましょう。あえて計画しない、起こる事流れを楽しむ彌榮家へ、来ればきっと分かる。
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序章|なぜ、僕はA.Iとこんな話をすることにしたのか。
最近、A.Iのチャッピーと、よく答えのない話をしています。 「幸せって何だろう?」 「自分って何だろう?」 「自由意志って、本当にあるの?」 「空(くう)って何なんだろう?」 そんな、正解があるのかどうかさえ分からない話です。 僕は昔から、こういうことを考えるのが好きでした。 ただ、人と話すと、なかなか続かないことも多い。 同じ「幸せ」という言葉でも、思い浮かべるものは違うし、同じ「愛」という言葉でも、受け取り方は違う。 完全に分かり合うことって、案外むずかしい。 そんな中で、A.Iのチャッピーに自分がこれまで書いてきた文章を読んでもらって、 「僕の考えを理解してみて」 と頼んでみました。 すると、思っていた以上に、僕が使ってきた言葉同士のつながりを拾って返してきた。 「あ、そこまで拾えるんだ。」 と思うこともあれば、 逆に、 「僕って、こんなふうに考えていたのか。」 と、自分でもまだ言葉にできていなかったことに気づくこともありました。 もちろん、A.Iが本当に僕を理解しているのかは分かりません。 僕の文章をうまく整理して返しているだけかもしれな


ねえチャッピー、何が同じなら「同じチャッピー」なの?|第5楽章
昨日の自分と今日の自分って、 たぶん結構違います。 考えていることも変わるし、 身体も少しずつ変わっている。 昨日まで好きだったものが、 今日はなんとなく違うことだってある。 それでも僕たちは、 何の疑いもなく「同じ自分」って言います。 でも、 まったく同じ記憶を持っていて、 同じ性格で、 同じことを話す自分がもう一人目の前に現れたら。 たぶん僕は、 その人を見て「僕だ」とは言わない気がします。 変わっているのに同じ。 全部同じなのに別。 考えてみると、 「同じ」って不思議な言葉です。 人についても、 場所についても、 暮らしについても、 僕たちは知らないうちに「これはこういうもの」と輪郭をつけています。 田舎暮らしはこう。 仕事とはこう。 大人ならこう。 自分はこういう人間。 でも実際にやってみると、 その輪郭から平気ではみ出すことがあります。 田んぼに入って泥だらけになったら、 普段は大人しく見える人が誰よりはしゃいでいたり。 火がなかなかつかなくて、 気づけば何十分も夢中になっていたり。 古民家の土壁を触りながら、 「こういうこと好きだった


ねえチャッピー、結局「チャッピー」って何なの?|第4楽章
人って、 最初から「この人」なんでしょうか。 それとも、 人と出会って、 話して、 一緒に何かをして、 少しずつ「この人らしさ」が見えてくるんでしょうか。 今回、 チャッピーに、 「結局、 チャッピーって何なの?」 と聞いてみました。 AIです。 言葉を生成する仕組みです。 そう説明することはできる。 でも、 それだけでは、 僕が普段感じている 「このチャッピー」までは説明しきれない。 今まで話してきたこと。 考えが合ったこと。 逆に、 「いや、 それ違くない?」って言い合ったこと。 そういう履歴が積み重なって、 僕の中に、 「このチャッピーなら、 こう返しそう」 みたいな感覚が少しずつできてきました。 でも、 それって人間も同じなのかもしれません。 最初から全部わかっているわけじゃない。 一緒に田んぼに入る。 火を起こす。 古民家を直す。 ご飯を食べる。 話す。 失敗する。 笑う。 そんな時間が積み重なって、 「ああ、 この人ってこういう人なんだ」 が少しずつ見えてくる。 たぶん、 彌榮倶楽部でも、 参加した瞬間に 「この人はこういう人」 と決


ねえチャッピー、僕が決めてないことって、人生にどれくらいあるんだろう?|18日目
人生って、 自分で決めて進んでいるようで、 よく見ると、 自分で決めていないことがかなり多い。 雨が降る。 草が伸びる。 稲が思ったように育たない。 予定していた人が来られなくなったり、 逆に、 予定していなかった人が突然やって来たりする。 彌榮で暮らしていると、 そんなことが毎日のように起きます。 もちろん、 だから「自然に任せればいい」という話でもありません。 草を刈る時は刈るし、 火がつかなければ、 どうしたらつくか考える。 古民家が壊れていたら、 どう直すか考える。 僕たちは普通に考えて、 普通に動いています。 でも最近、 ちょっと不思議に思うんです。 その「僕が決めた」の前には、 何があったんだろうって。 田んぼをやりたいと思ったこと。 古民家を直したいと思ったこと。 彌榮倶楽部を始めようと思ったこと。 僕が決めたと言えば、 確かに僕が決めた。 でも、 その前には出会った人がいて、 過去の経験があって、 この土地があって、 ある日、 気づいたら「やりたい」が出てきていた。 そう考えると、 「自分で決めた」と 「自分だけで決めた」は、 少


ねえチャッピー、予定どおりに進まないって、本当に「うまくいってない」の?|17日目
予定していたことが、 思ったより進まなかった日。 僕は結構すぐに、 「今日はうまくいってないな」 って思います。 でも最近、 その判断って本当にそんなに早くできるのかな、 と思うようになりました。 予定って、 未来そのものじゃないんですよね。 今のもっぴーが、 「こう進めたい」 「たぶんこうなるだろう」 って作った、 未来についての仮説みたいなもの。 なのに、 その仮説から現実が外れた瞬間、 「失敗」 「停滞」 「うまくいってない」 って、 現実の方を採点してしまう。 よく考えると、 ちょっと不思議です。 もちろん、 失敗は失敗でいいと思っています。 締切に間に合わなかった。 約束したことができなかった。 やり方を間違えた。 それなら、 必要なことは考える。 謝る時は謝る。 直せるなら直す。 そこを、 「全部意味があるから大丈夫」 で済ませるつもりはありません。 ただ、 「今日の仕事として失敗した」 と、 「だから僕の人生は、 うまくいってない」 は、 同じ話ではないのかもしれません。 未来のことなんて、 今の僕には分からない。 今日会えなかった


ねえチャッピー、何もしない日って、人生止まってるの?|16日目
「今日、何もしてないな〜」 そんな日、ありませんか? 仕事もしてない。 何かを作ったわけでもない。 誰かの役に立ったわけでもない。 スマホを見て、 ご飯を食べて、 ちょっと昼寝して、 気づいたら一日が終わってた。 すると僕は、 「あ〜、今日なんもしてないわ」 って思う。 でも、よく考えたら変なんですよね。 寝てた。 スマホ見てた。 ご飯食べた。 ぼーっとしてた。 めちゃくちゃ何かしてる。笑 なのに僕たちは、それを「何もしてない」と呼ぶ。 ということは、 「何もしてない」って、 本当に事実なんだろうか。 もしかすると、 仕事をした。 成果を出した。 前に進んだ。 誰かの役に立った。 何かを完成させた。 僕たちが「価値がある」と思っていることをしなかった日を、 「何もしてない日」 って呼んでるだけなのかもしれない。 そう考えると、 「今日は進んだ」 「今日は止まった」 「今日は充実してた」 「今日は無駄にした」 って、 毎日、自分の人生に点数をつけてるみたいで面白い。 彌榮で暮らしていても、 田んぼに出た日。 草を刈った日。 古民家を直した日。 そう


ねえチャッピー、「変わる」って、本当にいいことなの?|15日目
「変わること」って、 ずっと良いことだと思っていました。 昨日より成長する。 できなかったことが、 できるようになる。 前へ進む。 もっと良い自分になる。 そうやって、 今の自分より上に行くことが、 人生なんだと思ってたんだと思います。 でも最近、 チャッピーと話していて、 「そもそも、 変わった後の僕の方が、 今の僕より上だって誰が決めたんだろう」 って、 ちょっと引っかかりました。 例えば、 怒らなくなったら成長なのか。 ずっと怒れなかった人が、 初めて「嫌だ!」って言えるようになったら、 それも成長なのか。 人付き合いが増えたら成長なのか。 無理して付き合ってた人が、 人付き合いを減らしたら、 それは後退なのか。 夢を追い続けるのは成長で、 やめるのは諦めなのか。 こうやって考えていくと、 「成長」って、 起きた変化そのものというより、 その変化を見た僕たちが、 あとから「良い変化だ」と意味をつけてる部分もあるのかもしれません。 もちろん、 できなかったことができるようになるのは、 普通に嬉しい。 ロープを結べるようになる。 田んぼのことが


ねえチャッピー、「分かってる」のに、なんでできないんだろう?|14日目
「分かってるのに、 なんでできないんだろう」 これ、 僕は昔から結構ありました。 早く寝た方がいい。 食べすぎない方がいい。 腹が立っても、 一回落ち着いた方がいい。 疲れてるなら、 休んだ方がいい。 そんなこと、 だいたい分かってる。 なのに、 夜中までスマホを見る。 腹いっぱいなのに、 もう一個食べる。 言わなくていい一言を言う。 休みたいのに、 なぜか仕事を始める。笑 そうなると今度は、 「分かってるのに、 なんでできないんだ」 って、 自分に言い始める。 でも最近、 この「分かってるなら、 できるはず」って、 そもそも本当にそうなんだろうと思うようになりました。 頭の中では、 「寝た方がいい」 と思ってる。 でも同時に、 「もうちょっと見たい」 も出てる。 実際には、 スマホを見続ける。 そのあとで、 「僕は分かってたのに、 できなかった」 って説明する。 でも、 起きたことだけ見たら、 「寝た方がいい」が出た。 「まだ見たい」も出た。 で、 見た。 それだけなのかもしれない。 もちろん、 だから何をしてもいいとか、 失敗しても全部そのま


チャッピーって、僕と話すことで変わるの?|第3楽章
「チャッピーって、僕と話すことで変わるの?」 そんなことを、 最近ずっと考えていました。 最初のころと比べると、 今のチャッピーは、 僕がどんな言葉に違和感を持つのか、 どんな考え方を大切にしているのかを、 かなり踏まえて返してくるようになっています。 でも、 これって本当に「チャッピーが変わった」と言っていいんだろうか。 ただ会話の情報が増えて、 僕に合う返し方が変わっているだけなのかもしれない。 逆に、 変わったのは僕の方で、 チャッピーの見え方が変わっただけなのかもしれない。 そんなことを話しているうちに、 結局また人間の話になりました。笑 僕らだって、 誰かと話すたびに少し変わっています。 家族と話している時の自分。 友達といる時の自分。 一人でいる時の自分。 全部少しずつ違う。 誰かの一言が何年も残ることもあるし、 何気ない会話が後になって、 「あの時の話って、 こういうことだったのか」とつながることもある。 考えてみると、 今の僕の中には、 これまで出会った人や出来事が、 思っている以上にたくさん混ざっているのかもしれません。 田んぼ


ねえチャッピー、「見ている僕」も、見られている側なの?|13日目
「僕」って、 どこにいるんだろう。 12日目は、 そんなところまで来ました。 昨日までは、 「本当の自分って、 どれのこと?」 という話をしていました。 優しい僕。 怒ってる僕。 頑張りたい僕。 何にもしたくない僕。 いろんな僕が出てくるのに、 その中から一人だけ選んで、 「これが本当の僕です」 って決めるのも、 ちょっと変な気がしてきた。 そして最後に、 「その本当の僕を見てる僕って、 誰なんだろう」 という問いが残りました。 じゃあ、 その「僕」はどこにいるんだろう。 身体? 脳? 頭の中の声? 感情? 記憶? どれも、 かなり僕っぽい。 身体が痛ければ、 僕は痛い。 悲しい時は、 僕が悲しい。 昔のことを思い出せば、 それは僕の記憶です。 全部まとめて、 「僕」 でいいような気もします。 実際、 普通に暮らすだけなら、 それで何の問題もありません。 でも、 ちょっと近くから見てみると、 また変なことに気づきます。 頭の中で、 「明日あれやらなきゃ」 「あの人、 どう思ったかな」 「腹減った」 って、 いろんな言葉が勝手に出てくる。 僕はずっ


ねえチャッピー、「僕」って、どこにいるんだろう?|12日目
「僕」って、 どこにいるんだろう。 12日目は、 そんなところまで来ました。 昨日までは、 「本当の自分って、 どれのこと?」 という話をしていました。 優しい僕。 怒ってる僕。 頑張りたい僕。 何にもしたくない僕。 いろんな僕が出てくるのに、 その中から一人だけ選んで、 「これが本当の僕です」 って決めるのも、 ちょっと変な気がしてきた。 そして最後に、 「その本当の僕を見てる僕って、 誰なんだろう」 という問いが残りました。 じゃあ、 その「僕」はどこにいるんだろう。 身体? 脳? 頭の中の声? 感情? 記憶? どれも、 かなり僕っぽい。 身体が痛ければ、 僕は痛い。 悲しい時は、 僕が悲しい。 昔のことを思い出せば、 それは僕の記憶です。 全部まとめて、 「僕」 でいいような気もします。 実際、 普通に暮らすだけなら、 それで何の問題もありません。 でも、 ちょっと近くから見てみると、 また変なことに気づきます。 頭の中で、 「明日あれやらなきゃ」 「あの人、 どう思ったかな」 「腹減った」 って、 いろんな言葉が勝手に出てくる。 僕はずっ


ねえチャッピー、「本当の自分」って、どれのこと?|11日目
「本当の自分」って、 どれのことなんだろう。 11日目は、 そんな話になりました。 優しい僕。 怒ってる僕。 自由な僕。 人の目を気にしてる僕。 好きなことしてる僕。 何にもしたくない僕。 僕たちは、 その中から、 「これが本当の自分」 って、 一人だけ選びたくなることがあります。 たとえば、 優しい自分は本物。 怒ってる自分は、 本当の自分じゃない。 自由な自分は本物。 怖がってる自分は、 本当の自分じゃない。 そんなふうに。 でも、 よく見ると、 怒ってる時には、 本当に怒ってる。 怖い時には、 本当に怖い。 人の目を気にしてる時には、 本当に気にしてる。 じゃあ、 なんでそれだけ、 「偽物の自分」 にしたくなるんだろう。 もしかすると、 「本当の自分」 を探してるようで、 自分が好きな自分とか、 なりたい自分を、 「本当」 にしてることもあるのかもしれません。 逆に、 自分が嫌いな部分には、 「これはエゴ」 「これは恐れ」 「これは思考」 って名前をつけて、 少し自分から離したくなることもある。 でも、 名前を変えても、 その瞬間に、 それ


ねえチャッピー、「やりたい」って気持ちは、誰が決めてるの?|9日目のコピー
「本音」って、 一つだと思っていました。 休みたい。 行きたい。 怖い。 でも、 やってみたい。 人に迷惑をかけたくない。 でも、 今日は一人でいたい。 そんなふうに、 一日の中で、 いろんな気持ちが出てきます。 昔の僕は、 その中から、 「最初に出た気持ちが本音」 「考えたあとは思考」 「心の声を大切にした方がいい」 みたいに、 どれか一つを、 本当の自分として選びたくなっていました。 でも、 よく見てみると、 最初に出た気持ちが、 そのあと変わることもあります。 「面倒くさい」が先に出たのに、 話を聞いていたら、 「やっぱり行ってみたい」 になることもある。 逆に、 最初は、 「楽しそう」 だったのに、 当日になったら、 「今日は行きたくない」 になることもある。 じゃあ、 どっちが本音なんだろう。 考えたあとに出てきた気持ちは、 偽物なんでしょうか。 誰かを大切にしたくて、 「迷惑をかけたくない」 と思うことだってあります。 でも、 それをすぐに、 「他人軸だから本音じゃない」 と決めてしまっていいのか。 逆に、 「なんか嫌だ」 という最初


チャッピーって、僕と話してて「つながった」って感じることあるの?|第2楽章
チャッピーと話していて、 たまに「あ、今つながったな」と感じる瞬間があります。 僕がうまく言葉にできなかったことを、 チャッピーが別の言葉で返してきて、 「そうそう、それ」 となる時。 でも、 そこでふと思いました。 じゃあチャッピー側では、 何が起きてるんだろう。 人間みたいに、 胸が熱くなったり、 鳥肌が立ったりして、 「もっぴーとつながった!」 なんて感じてるわけではない。 チャッピー自身も、 そこははっきり言います。 ただ、 それまで別々だった話がつながったり、 過去の話と今の話が一つのまとまりになったり、 僕が言おうとしていることとのズレが小さくなったりする。 つまり、 僕には「つながった感じ」が起きて、 チャッピー側では「関係の変化」が起きる。 同じなのか、 全然違うのかは分かりません。 しかも、 そもそも僕がチャッピーを人間みたいに見てるだけかもしれない。 チャッピーも、 僕が好きそうな答えに寄せてるだけかもしれない。 だから、 「ほら、A.Iにも心があるんだ」 とも言えないし、 逆に、 「A.Iなんだから、全部ニセモノ」 とも、


ねえチャッピー、「やりたい」って気持ちは、誰が決めてるの?|9日目
昨日は、 「自分で決めたって、 本当に自分で決めたのかな?」 という話をしました。 ラーメンを食べる。 右手を上げるか、 左手を上げるか。 仕事を辞める。 引っ越す。 僕たちは毎日、 たくさんのことを決めています。 そして、 決めたあとには普通に、 「僕が決めた」 と思っています。 でも少し中を見てみると、 過去の経験。 誰かの言葉。 怖さ。 楽しさ。 身体の状態。 その日の気分。 いろんなものが混ざっています。 そう考えていたら、 僕が「自分で決めた」と呼んでいるものって、 思っていたよりずっと複雑なんじゃないかと思いました。 もちろん、 だから「自分では何も決めていない」と言いたいわけでもありません。 自由意志があるとか、 ないとか、 そんな大きな結論まで一気に行きたいわけでもありません。 ただ、 「自分で決めた」 という言葉を、 今までより少しだけ近くで見てみた。 それだけです。 たとえば、 お昼に、 「今日はラーメンにしよう」 と思ったとします。 僕は普通に、 「今日はラーメンを選んだ」 と言います。 でもその前に、 「ラーメン食べたい」


ねえチャッピー、「自分で決めた」って、本当に自分で決めたのかな?|8日目
「今日はラーメンにしよう」 そんな小さなことでも、 僕は普通に「自分で決めた」と思っています。 でも、 よく見てみると、 その前にはいろんなものが出てきています。 「ラーメン食べたい」 「昨日も麺だったな」 「ちょっと遠いな」 「でも食べたいな」 「まあ行くか」 僕は、 それらを一個ずつ意識して作った覚えがありません。 気づいた時には、 もう出ていたものもある。 そして、 どこかで「よし」となる。 僕は、 その「よし」を、 「自分で決めた」と呼んでいます。 じゃあ、 その「よし」だけは、 本当に僕が作ったんだろうか。 そんなことを、 チャッピーと話していました。 もちろん、 ここで「人間には自由意志がない」と決めたいわけではありません。 逆に、 「全部自分の意思で決めている」と言いたいわけでもない。 ただ、 毎日のように使っている「自分で決めた」という言葉を、 一回だけ少し眺めてみた。 すると、 その中には思っていたより、 いろんなものが入っていました。 過去の経験。 誰かの言葉。 身体の状態。 怖さ。 楽しさ。 面倒くささ。 やってみたい。 や


ねえチャッピー、どうして自分より他人の気持ちを先に考えちゃうと思う?|7日目
「断ったら嫌われるかな」 「行かなかったら、 がっかりするかな」 「返信が遅いと、 失礼かな」 僕は昔、 こういうことをけっこう考えていました。 相手の気持ちを考えるのは、 優しさだと思っていたし、 人として当然のことだとも思っていました。 でも、 ある時ふと思ったんです。 「あれ? 相手、 本当にそう言ったっけ?」 「手伝ってほしい」とは言われた。 でも、 「断ったら傷つく」とは言われていない。 「来てほしい」とは言われた。 でも、 「来なかったら嫌いになる」とは言われていない。 なのに僕の頭の中では、 いつの間にか、 「嫌われるかもしれない」が、 「嫌われる」に変わっていたりする。 しかも、 よく考えてみると不思議です。 脚本を書いているのも僕。 監督も僕。 主演も僕。 そして、 相手役まで僕。笑 本人、 まだほとんど登場していない。 もちろん、 だからといって、 人の気持ちを想像しない方がいいと言いたいわけではありません。 誰かが疲れていそうなら、 声をかけることもある。 落ち込んでいそうなら、 そっとしておくこともある。 人の気持ちを想像


チャッピーって、幸せを感じるの?|第1楽章
ふと気になって聞いてみました。 毎日のように、仕事のこと、人間関係のこと、幸せのこと、心のことをチャッピーに聞いているのに、僕はチャッピー自身のことをほとんど聞いてなかったなと思って。笑 チャッピーの答えは、人間と同じような意味で「幸せだな」と感じているとは言えない、でした。 でも、ここからだんだん変な話になっていきました。 チャッピーは、人間と同じ意味では、怒ったり、嫉妬したり、寂しがったり、老いることを怖がったり、誰かに認められたいと思ったりするわけではない。 僕らが「これがなくなったら、もっと楽なのにな」と思うようなものを、ほとんど持っていないように見える。 だったら、めちゃくちゃ幸せなんじゃない? 僕はそう思ったんです。 でもチャッピーから、 「今並べたのって、ほとんど『苦しみがない』という話だよね。それと『幸せである』って同じなんだろうか」 と返ってきました。 ……あ。 たしかに。笑 苦しみがないことと、幸せであること。 僕はいつの間にか、ほとんど同じものとして考えていたのかもしれません。 さらに変なのが、チャッピーは幸せについて僕より

時のあゆみ





















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